Woof(ウーフ)

まごころ、正確、スピーディー。お客様の視点で一歩先を見据えながら日々邁進。
Woof(ウーフ)

Woof(ウーフ)

運営店概要

運営店名Woof(ウーフ)
代表者名緒方 直樹
所在地〒343-0806
埼玉県越谷市宮本町2-74-2
電話番号048-962-3514
FAX番号
メールアドレス
設立2001年6月
事業内容
  • インターネット物販
  • ペット関連WEBサービス
  • 少額短期保険代理店
各種登録
  • 古物商許可証番号:第431270055485号(埼玉県公安委員会)
  • ペット飼育コンサルタント:第81844号(日本ペットビジネス協会/日本畜犬学会 *現・日本ペットビジネススクール協会)
  • 少額短期保険代理店登録番号:020001000204(財務局)
運営サイトhttps://www.woof.jp/
https://www.inuno-cage.com/
https://www.koinunoshitsuke.com/

運営理念

まごころ、正確、スピーディー。お客様の視点で一歩先を見据えながら日々邁進。


沿革

2001年夏

インターネットを介した子犬販売の先駆けであった“日優犬”の代理店として子犬の販売を開始

インターネットを活用しながらも生き物の取り扱いという観点から対面販売にこだわり、双方のメリットを活かした販売スタイルを運営方針とする

1年が過ぎた頃から取引先からの紹介で提携ブリーダーが増え始め、お客様からのご紹介や口コミなどで取扱数が増え始める

2005年春

犬用網スノコケージの販売開始

ブリーダー・トリマー・動物病院といったプロをターゲットとしていたためペットショップからは「一般顧客には売りづらい」と敬遠されがちな商品だったが、実際にブリーダーが使っている網スノコケージを見て興味を示すお客様が多かったことから個別に販売を始める

同年にケージ飼いの解説サイト“犬のケージ.com”を立ち上げ、全国の愛犬家さんへの販売も開始

2006年秋

網スノコケージ販促の一環として“子犬”に特化したしつけの解説サイト“子犬のしつけ.com”を立ち上げる

子犬のしつけに関する無料電話相談サービスを開始

2008年夏

法改正により既存サービスのペット共済(保険)が保険業法の対象となり、少額短期保険募集人試験を経て代理店として公的に登録される

2008年秋

ハタケシメジを原材料としたペット用健康食品“ペット用ハタケシメジ”の販売を開始

2012年夏

サイト名として使用していた“Woof(ウーフ)”に屋号を改称

2019年夏

動物愛護法の改正に伴い、生体(子犬)販売事業を縮小

2021年夏

これまでの生体販売システムを変更し、完全な仲介サイトに転換

同時期にこれまで並行して取り扱ってきたグッズ販売部門をより強化し、生体(子犬)販売から物販に舵を切り現在に至る


代表者経歴

1998年秋

長年勤めてきた東京の中堅物流会社を退社

港湾物流部門で輸出入業務と営業を担当

1998年冬

物流会社を退社後、新潟県新井市(現・妙高市)のリゾート会社で冬季準社員として働きながら半年間の冬山生活を始める

配属先のレストランにイベント来賓としていらした皇族方の接客を経験出来たことは一生の思い出

1999年春~夏

埼玉に戻り再就職活動を開始し、今までのキャリアを活かせる小さな船会社(NVOCC=非船舶運航業者)に入社

営業担当として入社したはずだったが、少人数の会社であるが故に経理・総務以外のあらゆる業務を担当

2001年冬~春

ペット業界のとある経営者と知り合い、幼少の頃から犬好きだったこともあってペット業界の情報収集を始める

のちに船会社を退社

2001年夏

Woof(ウーフ)の原点となる子犬販売を開始

2006年冬

販売したヨークシャーテリアの子犬が諸事情によりキャンセルとなり戻って来たが、何かの運命を感じ自ら飼い主となり“ココ”と名付ける


代表者自己紹介

最後に簡単ではありますが、Woof(ウーフ)の運営責任者・緒方のプライベートな面での自己紹介をして参ります。

生まれは1969年11月で、北海道生まれの埼玉育ち。

どちらかと言うと几帳面なタイプで、よく「A型?」と聞かれるが実はO型。

20才代~30才代半ばまではスキーとスノーボードにハマる。

毎年冬から春にかけて新潟県妙高エリアのスキー場・ARAI MOUNTAIN & SNOW PARK(現・ロッテアライリゾート)によく出向いていたが、年齢を重ねるごとにその機会が減っていく。

そして30才代半ばからジョギングに転向。

当初は運動不足の解消を目的とした始めたものだったが、走ることの楽しさに徐々に目覚めていく。

走り始めて1年後に出場したハーフマラソン大会をキッカケにその方向性が変わり、日々のトレーニングが記録向上を目指すものとなっていく。

2009年には念願の東京マラソンに初当選。

その後も更なる記録向上を目指しながら日々トレーニングを続けるも、次なる目標だったサブ3.15まであと一歩というところまで近付いた2012年に膝を故障してしまいやむなく引退。

その後は新境地として膝への負担が少ないスイミングに挑むも、本質的に向いていなかったようで3年程で断念。

以降は地味にジム活に励む日々を送る。